シカゴの四つ玉

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サカナクション「ミュージック」考

サカナクションが好きだ。ベストアルバムは実家のウォークマンに入っている。

その中でも私が一番好きな曲は「ミュージック」だ。

歌詞の世界観も曲調も全部好きだし、いい思い出しかない曲だ。

歌詞は空高く飛ぶ鳥や脱ぎ散らかした服に思いを馳せる寂しく弱くだらしない「僕」と少し離れたところにいる「君」の二人の対立であり、僕の独白という形式をとっているように思われる。

一番の「鳥」は故郷から出てきたばかりの若者を比喩しているのかもしれない。街に馴染めず鳴き声を上げるが街は助けてくれるわけではないのだ。ということは「僕」も上京してきたばかりの若者なのかもしれない。

厳しい「僕らの言葉」は川を流れて「君の住む町」で「消えた」と言われているが、

ここでの「僕ら」って誰なんだろうか。英語でいうところの「You」(みんな、と言いかえることが可能)か、「Us」(語り手を含めた集団)のどちらかだとは思う。ただUsだと「僕」も厳しい言葉を「君」の居る方へ流していることになる。彼がいくら弱くてだらしなくても「君」を傷つけることが合ってはいけないと思うので、私はYou説をとる。

また、言葉は「消えた」というより「僕」が「消した」のではないかと思っている。「君」がすれた言葉で傷つかないように、君が住む町に辿り着く前に「僕」が一生懸命消したんではなかろうか。コーラスの「マダミエテナイ」や「マダミエナイカラ」というのも、「僕」が「君」に向かって念じている言葉だと考えた。

二番冒頭、「僕」の生活は荒んでいる。髪は乾かしたくない、服も脱ぎっぱなしである。

そして「僕」は重大なミスを犯す。すれた僕の独り言が「君」に届いてしまったのだ。最初「ナイテハイナ」かった「君」が「ナイテイタ」のである。

最後に「僕」の自己嫌悪、およびそれを受けて今後こうしていきたいという決意表明が描かれている。だらしなく弱い「僕」であることに変わりはないものの彼にはやるべきことが見つかった、というそれなりのハッピーエンドになっている。

疲弊し、荒み、失敗し、反省し、立ち直るというなかなかな起承転結のハードストーリーが一つの曲の中に詰まっている。これってすごくないか。

それに曲調もとても歌詞に合っている。初めは電子系の規則正しいリズムで淡々と僕の語りを進め、サビで急にメロディと言えるような音の流れが生まれる。しかしサビの後半ではまた初めのようなリズミカルな感じに戻り、歌詞のシンプルさを邪魔しない作りになっている。一番二番と上記のような構成で、最後(Cメロというのか?)が最も激しくなっている。「僕」の感情の移り変わりにとてもよく合っていて、これがこの曲のしっくりくる要因なのだろうと思わされる。やっぱりすごい。

サカナクションを褒めるのはここまでにして、これ以降は完全な余談として私のこの曲に関する思い出を話すことにする。興味がなかったらブラウザバックしてもらって構わない。

この曲を聴いたのはドラマの主題歌だったからである。倉科カナさん主演のレストランで頑張る人々の物語だったのだが、正直料理がおいしそうだったことしか覚えていない。現にストーリーの細かい所など全く覚えていないため「レストランで頑張る人々の物語」などというざっくりな書き方をしている。

でも主題歌がとてもとても良くて、良く晴れた日に蔦屋にCDを借りに行ったのを今でも覚えている。今調べたらワンコインだったので何で買わなかったのだろうと過去の自分に腹が立ったが、その当時は町内唯一のレンタルビデオ屋だった蔦屋でCD販売はしていなくて、CDを買うためには隣町まで行かないといけなかったということを思い出した。今度どこかで見かけたら絶対買おう。

あと今ウィキペディアを見ていたらこの曲に関する公式からのコメントが載っていてやや解釈違いを起こしていたけど、普通に曲を聴いているだけでは分からないと思うので私は私の解釈を書き留めておく。そもそも人間本当に伝えたいことがあるなら抽象的な言葉は使わないと思うので、この曲は聞いた人に解釈がゆだねられているタイプだと思っておく。