シカゴの四つ玉

大したことは書いてません オタクが暴れています

どん兵衛はうまい

椎名林檎さんの「能動的三分間」という曲が大好きだ。昔のウォーターリングキスミントのCMで見たのがこの曲との出会いなのだが、その後はアニソンばかり聞いていたこと、また林檎さんアンチの母の支配下に置かれていたこともあり聞くことはなかった。自分の嫌いなものは全てクソのようなコンテンツだと思っている母親の元を離れて、私は再びこの曲とunchainさんのカバー曲という形で出会った。曲がぴったり三分で終わるという衝撃に愕然とした。

この曲の好きなところは、三分丁度で終わる緻密さもさることながらその丁寧だがさりげない韻の踏み方だ。「丁寧だがさりげない韻の踏み方」って何やねんと思う人が多いと思うのだが、

冒頭英語部分の後の「沙汰止みを」「無常」「嘆いても」「平等」のオ段、

一番のサビの「前夜」「ドライバー」「だったら」「聞きな」「開花」「君は」「ドライバー」のア段

を見るとありとあらゆるところに様々な形で韻が踏まれているのが分かるだろう。

二番の押韻の例は省略するが、同じくサビ前はオ段、サビはア段で統一されている。

これにより曲の初めから終わりまで変わることのないリズムに合っており、統一感がありながらも飽きることのない歌になっているのではなかろうか。

昨日今日と散々韻の話をしたが、やはり韻が踏まれているものは口に出した時心地よいものなのだと思う。かの名曲「今夜はブギー・バック」が時代を超え愛されたり、まるでラップに興味がないような若い女性たちがラップを題材にした作品であるヒプノシスマイクの歌を好むという現象にも少なからず韻の存在は影響を与えているはずだ。