シカゴの四つ玉

大したことは書いてません オタクが暴れています

You look quite good

宇多田ヒカルさんの歌「Traveling」の話をしたい。今までも様々な専門家の方が考察、見解を述べられているため正しい意見はそちらに任せて私は私の意見を言わせてもらう。
まず歌詞についてだが、主なテーマは「諸行無常」だと考えている。平家物語の一節を引用しているところから諸行無常について言いたいのだというのは容易にわかることだと思う。
一旦歌詞全体の状況を見てみたい。前半の主人公は花金にタクシーを捕まえ恋人に会いに行く社会人。「君」の隣の特等席でタイトル通りどこまで行くのかわからない「旅」に出ようとしているようだ。後半の主人公は、前半の主人公の恋人かもしれないしそうでないかもしれないが、とりあえず女性だろうとは思っている。「僕」を誘い狙い通りに心を手に入れた主人公だが、今日は攻めの姿勢をとりにいく。窓を下げて怖いものがなくなり、ついに目的地に到達する。そして主人公(どちらかは分からない)以外の人は盛り上がりを見せる。主人公もはしゃぎたいが、まだ不安を捨てきれていない。でも最後は止まることに恐怖するまでにスピードを出している。
まさにこの状況そのものが諸行無常なんじゃないだろうか。前半の旅は遠いとこならどこでもいいよ、と投げやりになったと思えば今度は飛ばしてください!いやまあ急いでないんすけど…みたいなことを言い出している。後半の人は小悪魔が入っているらしく、巧妙に「僕」を誘惑したりちらりと見られたかと思えば胸を寄せて目立とうとする。その後もここは嫌かな…と拒否ったあと窓を下げたらなんか振り切れちゃった、ここでいいや!と乗物から降りている。あくまで憶測だが、二人とも一回投げやりになっている感は否めないと思うのだ。
初めは楽しかったけど最後にはなぜか投げやりな感情にさいなまれている、頻繁にあるわけではないが共感できなくもない身近な諸行無常がみんなの心をひきつけているんだと思う。
以前ツイッターで就活が嫌になった人が作った「うるせ~‼知らね~‼」と書いた履歴書の画像を拝見したことがあるが、それに近いものをTravelingの歌詞にも感じている。
世の中に何と言われようが自分の生き方とは関係ないし知ったこっちゃない、君と行ける旅ならどこだっていい、何もかも壊したい、止まりたくない。人間の欲望とか色んな気持ちが強く表出されている。私はこの強い人間の感情に心揺さぶられるし、難しいことを考えてドツボにはまってしまった時はこの曲を聴いて寝ることにしている。それくらい大好きだし、歌詞の奥にある思想を尊敬している。
書ききったらなんか他のブログと言ってることが変わらないような気がしてきたが、自分の言葉で自分の気持ちを言う練習なのでこれでいい。